盗用問題で考える「送り出す側」の質で、「安易な企画が続くような現状では、送り手に期待するのは酷なのかもしれません。」と書き、「作り手」「送り手」を非難した。
しかし、安易な企画がまかりとおるのは、「受け取る側」がNoを言わないからだ、ということを忘れてはいけない。
「受け取る側」が質を求めれば、当然ながら「作り手」「送り手」も上質なものを提供するようになる。
「受け手」が質に敏感なら、「作り手」「送り手」も質に妥協できないから、より良いものを追求するようになり、それは連鎖していく。
安易な企画がまかり通るということは、「作り手」「送り手」が「受け手」をナメて、質を妥協しているということだが、それを招いたのも許しているのも「受け手」の側に非がある。
ヴィトンやロレックスなどのいわゆる「ブランド」メーカーや、メルセデス・ベンツやBMWなどの高級車メーカーは、日本では主にイメージが優先されているが、そのもともとの「イメージ」を作り上げたのは質の良さによるものだ。
近年では翳りがあるように思えるが、「Made in JAPAN」が外国製と比較して「質が高い」とされてたのだってそうだ。
いつだって「それ以上」を求める「受け手」の要求に答えられない「作り手」「送り手」は、淘汰されるしかない。
「ブランド」メーカーや「Made in JAPAN」の評価が高いのは、「受け手」の要求に答え続けたからこそ、だ。
それは、「受け手」が「作り手」「送り手」を育て、「作り手」「送り手」が「受け手」を育てるという、良い関係の例とも言えるだろう。
レコード会社やTV番組製作を、「ブランド」メーカーのように育てず、むしろ意識を堕落させたのは、彼ら「作り手」「送り手」と悪い関係しか築いてこなかった「受け手」である我々すべての罪だ。
そして、バンドが盗作することも、安易な二番煎じや焼き直しが多いのも、すべて「受け手」である我々に課せられた罰なのだ。
しかし、その罰をただ受け入れてしまうのでは、いつまでたっても「作り手」「送り手」との関係は改善されない。
「パクリだ」「盗作だ」と、あまりヒステリックになるのも如何なものかとは思うが、黙っているよりは何倍もマシな行為だろうとも思っているし、これらの声が「彼ら」に届き、関係が改善される日が、そう遠くではないと期待してもいる。
そのときには、いま話題になっているような『盗作問題』も昔話になっていることだろう。
投稿者 Kobito : 2005年06月05日 03:02




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